2016年 05月 03日
身体が受ける感覚(五感)は、ほとんど対数で感じています。たとえば光の強さでも、2倍3倍4倍・・・と感じる明るさは、実際の光量では2乗3乗4乗・・・の物理量なのです。音では、音高も音圧も対数で感じています。音高は1オクターブ上がるごとに音の振動数が2倍になります。2オクターブ上は2倍の2倍つまり4倍、3オクターブ上は2の3乗倍で8倍となります。つまりnオクターブ上がれば2のn乗倍になるということです。1オクターブの中の12半音階の中の1段(つまり半音)も2の1/12乗(12回掛けると2になる数)で表せます。これが平均律なのですが、これは対数で感じるという人間の感覚の理にかなっているのです。脳は無理数の物理量を対数を使い整数に変換している訳です。 しかし和音は、振動数が単純な整数比のときに完全協和します。つまり、メロディーと和音の音律感は決定的に矛盾するのです。純正律では主要和音は純正できれいですが、メロディー的には大全音小全音があるように、相当不自然になってしまいます。でも平均律では和音が濁ります。様々な調律法は、その間の差し引きのさじ加減を調整することにより、矛盾を目立たないよう工夫しているのです。そして、そのさじ加減こそがまさに音楽的な作業なのです。 和音のない音楽や、5度4度和音までの音楽では、ピタゴラス音律でもあまり矛盾は感じませんでした。しかし、西洋ルネサンス以降の和声音楽では、メロディーと和音の音律矛盾が大問題となったのです。しかしまた、この矛盾こそが和声を進行させる原動力ともなりました。実際の音楽は一つの音律で定常的に完結するものではないのです。すぐれた歌手や演奏家はこの矛盾の間を感覚的に行き来します。だからこそ、音楽は数を根源に持ちつつも、極めて人間的な営みなのです。
by sakagooch
| 2016-05-03 10:27
| 音楽
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